インターネット・リアリティ・マッピング(5)「エキソニモとライダー・リップス(中編)」

インターネット・リアリティ・マッピング(5)「エキソニモとライダー・リップス(中編)」

水野勝仁
水野勝仁 (ID145) 公認maker 2014/10/28
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「ネット≒リアル」と「ネット↔リアル」

ネットとリアルのあいだにひろがる広場

今回はエキソニモをメインに考察を進めていきますが、前回の結論で「ライダー・リップスのネットへの感覚の根っこには「ネット≒リアル」がある」と書いたのが自分のなかでイマイチ掴めていなかったりします。対して、エキソニモが示すネットの感覚は「ネット↔リアル」だと私は考えていて、こちらの「ネット↔リアル」については、自分では掴めている感じがあります。なので、自分が実感できている「ネット↔リアル」を「ネット≒リアル」と対比させていくなかで、前回のモヤモヤしたものが少しは明確になっていくのではないかと期待しながら、今回はエキソニモについて書いていきます。

自然なプロセス

エキソニモには《Natural Process》というプロジェクトがあります。2004年に発表されたので、今から10年前のものになります。このプロジェクトはGoogleのトップページをキャンバスに描いた《A Web Page》を中心に構成されています。《A Web Page》は「コンピュータの画面」を描いた絵画であり、それはまた「ウィンドウ」から見える「風景」を描いた「風景画」でもあります。エキソニモはその《A Web Page》を美術館に展示します。そしてそれをウェブカメラで撮影して、ネットに流します。そうすると、2003年12月10日にキャプチャーされ、その後、絵画化された「Internet Explorerのウィンドウ」と「検索窓のみのシンプルなGoogleのトップページ」がネットに戻っていきます。Googleが絵画としてリアルに引っ張りだされて、ウェブカメラを通してネットに再び還っていきます。この一連のプロセスが「Natrual Process=自然なプロセス」と名付けられています。2014年の今から考えてみると、ネットの感覚がリアルに色濃く反映するのは当たり前になってきたし、ネットを反映したリアルの感覚がネットに影響を与えるというのはこの10年間でとても自然な流れになっているので、《Natural Process》はこのことを作品のタイトルと構造で予見していたとも言えます。

>Natural Process
http://www.exonemo.com/NP/indexJ.html

《A Web Page》について、ICCの主任学芸員・畠中実さんは「イメージをイメージとして描くある種のまわりくどさ」があると指摘しています[ 全感覚 No.4 p.14 http://zenkankaku.cocolog-nifty.com/ ]。どういうことでしょうか。「ウェブページ」というイメージを「絵画」というイメージに描くということだと、私は考えました。「絵画」はモノなんだけれども、それは多く人にとって、特にそれが美術館などの壁に展示されると「モノ」ではなくて「イメージ」として扱われるわけです。ウェブページも液晶ディスプレイ、少し前はもっと大きなCRTディスプレイに映されているわけですから、それは「モノ」としても考えることができるわけですが、ほとんどの人は絵画と同様にそのモノの部分は無視してウェブページを「イメージ」だと考えます。なので、《A Web Page》は、見る人が「イメージ」だと思っているものを「イメージ」に描き直しているだけであって、「ウェブページ」というディスプレイ上のイメージが、触ることのできるモノとしての「絵画」になったというイメージとモノの関係を変えるものではないと言えます。「ウェブページ」から「絵画」に変わったときに起こっているのは、「ネット→リアル」という変換なのです。そして、リアルな絵画がウェブカメラ経由でネットへと更に変換されます。《Natural Process》はGoogleのトップページがイメージのままネットとリアルのあいだを行き来するプロジェクトというわけです。《Natural Process》はどこまでも「イメージ」を扱った作品なのです。

身体を置いってしまう意識の流れ

エキソニモには《↑》という作品があります。《↑》は《Natural Process》と同様に「イメージ」を主に扱っているのですが、一部に「モノ」を扱っているために作品のなかでの意識の流れがよりややこしいものになっています。デスクトップ上の「カーソル」というイメージが「モノ」として実体化されて、リアルな空間に配置されています。そのリアルカーソル、あるいは単に物体化した矢印を見ると、なぜか意識がデスクトップ、ディスプレイの方へと強制的に向けられてしまいます。ディスプレイに表示されている「デスクトップ」という仮想の机の上と会場に設置されたリアルな机のあいだで、鑑賞者の意識をあっちこっちに強制的にねじ曲げて、スティーブ・ジョブズの「現実歪曲フィールド」のような「次元歪曲フィールド」が立ち上がります。そして、実体化したカーソルによって意識をねじ曲げられた先に、「私たち自身」というか「自分がいる空間」がイメージ化されてディスプレイに映るということが起こります。「リアルのイメージ化」は自分がその空間にいるときには、自分がそこにいるという感覚が必ずあるので、臨死体験のようなことでもないと起こらないことです。でも、《↑》では「リアルのイメージ化」を感じさせるような意識の流れがつくられると同時に、意識のように自由ではない身体がその流れに乗ることができずに置いていかれます。

> ↑
http://www.ntticc.or.jp/Archive/2010/Exploration_in_Possible_Spaces/Works/exonemo_j.html

「ネット↔リアル」と「ネット≒リアル」

エキソニモの作品には、意識が半ば強制的に「こちらから向こうへ、向こうからこちらへ」という感じで連れて行かれる「次元歪曲フィールド」を発生させるものが多くあります。ここでリップスの作品を思い返してみると、そこには「連れて行かれる」という感覚がないことに気づきます。このちがいからリップスの作品を考えてみると、そこにはそもそも「ネット」と「リアル」という2つの世界の境界を感じることが少ないのです。リップスはこれら2つの世界を意識させない方向へと作品を体験している人を誘導していると考えることができます。リップスのこの意識の流れの操作はとても密やかなものです、いや、リップス自身は「操作」しているとも考えていないのかもしれません。それほど自然にネットとリアルとのあいだを行き来している感じです。エキソニモのように強制力があれば、そこでの意識の操作に気づきやすいですが、リップスのように何でもないような感じで自然にネットとリアルとのあいだにある自分の意識を操作されるとそこで何が行なわれているのかわからないのではないでしょうか。

今までのところをまとめてみます。エキソニモは「ネット」と「リアル」という2つの領域を明確に意識させて、鑑賞者の意識がそのあいだを行き来させるような作品をつくります。だから、そこには「ネット↔リアル」という2つの領域を行き来する感覚が生まれます。対して、リップスは「ネット」と「リアル」とを意識させない方向に鑑賞者を導きます。その結果、ネットとリアルの境界があいまいな「ネット≒リアル」という感覚が、見る人のなかに生まれてきます。

「スポーツする身体」と「消える身体」、再び

このふたつの関係のちがいには、前々回、前回扱った「身体」が大きな役割を担っていると考えられます。「スポーツとしてのコンセプチャルアート」を掲げるリップスは「身体」を強調すること、あるいは鑑賞者の身体を使うことで、「ネット/身体/リアル」という関係をつくって、身体を媒介させながらネットとリアルとの境界を希薄化していきます。ネットもリアルも身体が接している世界ということではちがいがないわけです。普段は「ネット」と「リアル」という対立で考えてしまいがちですが、「ネット/身体/リアル」というのが、普段、私たちがネットをしているときの向かっているときの基本的な関係なのです。リップスはこの「基本的な関係」のなかにある「身体」を強調(=空手着を着てツイートする)したり、うまく使う(=Facebookのログを延々とスクロールさせる)わけです。ネットもリアルも身体を介しているという単純な事実をリップスは強調していくアプローチなわけです。このように考えてくると「スポーツとしてのコンセプチャルアート」も突飛なアイデアではなく、「コンセプト」だって身体を必ず介在させるのだから「スポーツ」として成立するはずと思えてきます。

対して、エキソニモは身体にアプローチするのではなくて、意識の方向付けを強調します。その結果として、「ネット/身体/リアル」という普段、ネットに接しているときの状態から「身体」を消し去っていってしまいます。そうするといつもネットとリアルとを媒介している「身体」が消えてしまってしまうわけですから、ネットとリアルとが直結するような感じになります。だから、「ネット↔リアル」なわけです。でも、ネットとリアルとは対立しているわけではなくて、それらはイメージのレベルでは「自然=Natural」に行き来できることを、エキソニモは示します。でも、そこにはモノのレベルとしての身体がないので、どうしてもそれはとても急な感じがしてしまう。この状態では「行き来」するというよりは、ネットとリアルとのあいだで強制的な「同期」が起こっていると言い換えた方がいいのかもしれません。

ネットとリアルの広場

「ネット↔リアル」では、ネットとリアルとが半ば強制的に同期していきます。エキソニモの作品制作のひとつの流れは、《Natural Process》が示していたこのプロセスをより明確にしていったものだと考えられます。そして、連作「ゴットは、存在する。」は「ネット/身体/リアル」という関係から身体をすっぽりと消し去ってしまって、とてもコンセプチャルな作品になっています。そして、《↑》では、鑑賞者の身体をネットでもなくリアルでもないここではないどこかに置き去りにすることで、「ネット↔リアル」できる意識の状態をつくりだすことに成功します。なので、「ネット↔リアル」をめぐるエキソニモの作品の抽象度は《↑》で行き着くところまでいってしまった感じがあります。その後、「ネット↔リアル」の意識をもういちど具体的な存在に落とし込んだのが、IDPW名義での「インターネットヤミ市」だと考えられます。身体を無くしてコンセプチャルな存在となったネットとリアルとをめぐる意識を、「場所」にインストールしたわけです。「身体」ではなく「場所」にインストールし直したのはとても興味深いことです。それはコンピュータやネットが「身体」に縛られていたとしたら、その制約を取り払ったとも考えることもできます。「インターネットヤミ市」はリアルでの取引というとてもフィジカル=身体的なイベントなのですが、ここで起こっていることは一度身体から引き離した「ネット↔リアル」という感覚を「場所」に再インストールして、そこで改めて「身体」がどんな振る舞いをするのかを見てみるという、とてもコンセプチャルなイベントだとも考えることができるわけです。

エキソニモの「ネット↔リアル」を経由することで、リップスの「ネット≒リアル」が掴めてきたような気がします。「ネット≒リアル」では、ネットとリアルとは行き来するものではなくなって、どちらもとてもナチュラルに「身体」とともにあるものになっています。身体を強調することで、意識は「ネット」と「リアル」との境界を意識しなくなるというか、身体のなかで溶けていくという感じでしょうか。ネットとリアルとの境界がなくなっていくので、私たちの活動できる領域が増えていくわけです。エキソニモとの対比で考えると、ネットとリアルのあいだの「↔」という通路が徐々に広がっていって、もっと自由に動ける広場になったようなものです。でも、それは今までと異なる領域が増えたわけですから、まだイマイチよくわからなものなのです(だから最初に「ネット≒リアル」のことがわからなかった、というのは言い訳です)。

身体をなくしていったエキソニモがリアルの場所で「インターネットヤミ市」を開き、身体を強調するリップスはネットとリアルとのあいだをうめる広場を作品を体験している人の意識のどこかにつくりだしています。エキソニモとリップスのネットへの感覚を考えた結果として、「市場」や「広場」といった大きな「場所」に行き着きました。

ふたつの態度と世代

何度も言いますが、「ネット≒リアル」と「ネット↔リアル」とはどちらが優れているとか、あたらしいとかいう問題ではありません。私にとってはエキソニモの感覚の方がナチュラルで、リップスの感覚はモヤモヤしたものでした。それは単にネットとリアルに対する「態度」みたいなものです。ですが、その「態度」の根っこにはネットとの接触時期がいつだったのかという「世代」の問題があるかもしれません。エキソニモはあるインタビューのなかで、大学生のころにネットに接触したので、作品のなかでネットを「誇張」して扱ってしまうと述べていました。そして、ネットを当たり前として育った世代はもっとナチュラルにネットを扱えるのではないか、そのなかから面白いものがでてくるのではないかと続けていました[ http://www.yomiuri.co.jp/stream/onstream/exonemo.htm にあった動画で語っていたのですが、今は見ることができません。残念です]。リップスがそのひとつの例なのかもしれません。ネットとリアルとの関係を特に誇張することなく扱える感覚を示しているのリップスで、それが「ネット≒リアル」ということなのかもしれません。エキソニモはネットとリアルとの関係を「誇張」してしまうから、「ネット↔リアル」という感じになるということでしょうか。

そして、リップスとエキソニモの作品における言葉の使い方にも、この世代の感覚が示されているような気がします。なので、この「世代」があるのかないのかを確かめるため。もう1回、「言葉」という観点からエキソニモとリップスの対比をして、彼らのマッピングを終えようと思います。

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