MAKERS#6 「株式会社アイツーアイ技研 代表取締役社長 糸井成夫」

MAKERS#6 「株式会社アイツーアイ技研 代表取締役社長 糸井成夫」

DMM.make AKIBA
DMM.make AKIBA (ID4043) 公認maker 2016/10/19
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このコーナーでは、DMM.make AKIBAを拠点に活躍しているメイカーズにインタビュー。

モノ作りをしている方々の仕事内容や、技術に関するホットなトピック、そしてオフィス内の制作環境を中心に御紹介。話題作りに御一読を!(文・髙岡謙太郎/写真・杉山周二)

アイツーアイ技研は、デジタルファブリケーションを活用して業務用の食品関連機材を製作する開発会社。ハードウェアスタートアップが軒を連ねるDMM.make AKIBAでは、異色の立ち位置ともいえる。社長の糸井さんは、もともとは板金プレス加工業 株式会社イトイの三代目。倒産を体験して再起し、起業に至った。その険しい道のりから、レゴれご団、スゴイ工学研究所などの多岐にわたる活動、そして趣味で制作した作品までを紹介してもらった。

株式会社アイツーアイ技研 代表取締役社長 糸井成夫
株式会社アイツーアイ技研は、こんなもの作れないかな?を実現する「メイカー」企業です。世の中にないものを作ります。超深海探査機(江戸っ子1号のメカトロ部分)、3Dプリンタ「モーデルナノ」、超高速豆腐カッター、超高耐久電動包丁などなど作ってきました。これからも、「メイカー」企業であり続けます。
http://itoi.jp/
http://i2i-tech.com/

――糸井さんはさまざまな活動をされていますが、まずはメインの事業となるアイツーアイ技研について聞かせていただけますか?

アイツーアイ技研は開発会社です。委託を受けて開発をして、量産は別の会社に作ってもらい、ロイヤリティを貰うビジネスモデルをしています。ただ、発注数が少ないと自分で量産することもあります。主なお客様は食品工場なので、必要となったら明日でも欲しいと言われたり。それに全部付き合ってるわけではないんですが。

例えば、これはまだ世に出ていない製品ですが、サンドイッチを切る業務用の機械の新作です。スイッチを押すと、高速で刃が動きます。ネットの通販でも似た商品がありますが、耐久性に乏しく食品工場で使うと数日で壊れてしまいます。

今までサンドイッチは包丁で切ることが多かったのですが、よほど包丁が研がれていないと綺麗に切れずに断面が曲がってしまいます。そこで挟んだトマトも崩れず、堅いカツに対しても切れ味が良く、コンビニ工場の稼働に耐えうる製品を開発したんです。

機械の外装は3Dプリンターで製作しました。中身はジュラコン(エンジニアリングプラスチックの一種)のパーツで、レーザーカッターで切っています。板金の部品は内製できないんですが、他は全てDMM.make AKIBAで作っています。この3Dプリンターで作った試作を現場に持って行ったら「これでいいよ」ということになり、しかも今すぐないと困るということで、試作品をそのまま量産して納品することになりました。 見た目はプロトタイプ感があるんですが機能的には十分。振動すると現場のスタッフが嫌がるので、本体が振動しないのも特徴です。そういうわけで私は普段、製品を作ったり、あちこちの食品工場に行ったりで飛び回っていることが多いですね。

――豆腐カッター、弁当カップディスペンサーなども作られていますね。

豆腐カッターはこの製品の前に作りました。業務用で完全にB(ビジネス)向けだから、C(コンシューマー)とはまったく離れた世界ですね。

――このような製品を作るようになったきっかけを教えていただけますか。

私はもともと板金業を営む株式会社イトイの三代目だったんですが、リーマンショックの時に経営が圧迫された状況になって、最終的に会社は廃業となってしまいました。世間の板金屋さんなど中小企業の工場は、資金繰りのために命以外のすべてを担保に入れてしまう場合が多いんです。 賃金を払えなくなってしまうから社長の生命保険も入れてしまう。金融機関はゴリゴリ攻めてくるし本当にきつい。だから最後には夜逃げをしたり、最悪、首を吊ってしまったりするんです。

株式会社イトイは、大手家電メーカー相手にPOS関連機器をOEM(相手先ブランドを製造すること)供給していたんですけど、どこも値下げ値下げでもう地獄でしたね。そんな時、中小企業診断士の中村先生と知り合い、親身に相談に乗ってもらったんです。それで、工場の設備で闘う時代ではないと確信して。これからは自社製品を作ってその価値で闘う方向を目指すことを決断しました。豆腐カッターはこの考えから生まれた機械です。

しかし、社長である父親は社員を守るという責任感もあり、誰が言っても工場への拘りを捨てませんでした。でも規模の大きな工場を維持する為には毎月の資金繰りが重くのし掛かるんです。ただただ工場を守る為に割に合わない仕事でも受ける日々となって。何のための仕事か分からなくなっていました。似たパターンだと農家と農協との関係に近いですね。農具をローンで買って、気が付いたらローンのために一生懸命働いているという、 農協のために働いているような状況ですね。加工業でも機械を無料で置いて、手放せなくなった頃にローンを組まれてしまうような状況があります。たっぷり辛酸なめましたね。

――苦労をされていますね。実家の工場で働く前は何をされていましたか?

元々IBMのSEをやっていたんです。学生の頃はアルバイトで8Bitのゲーム機のプログラムを作ったりしていました。できる人が少なかったためアルバイトにも仕事が回ってきて、結構稼いでいましたね。IBMの仕事を人づてでもらうようになってソフトハウスに入り、 UNIX系のプログラムをRS6000というワークステーションで組んでいました。今でいうネットワーク屋さん、プログラマー、システムインテグレーターのようなことをしていました。その時に製作に関わっていたIBM技術資料統合管理システム(EDCS)はボーイング767の国際共同開発に使われたりしていました。

IBM時代の糸井さん

そこで十分仕事をして充実していたんですけど、29歳の頃、実家に戻ってこいという感じになり、ここから運の尽きですね。実家に戻ってからは何でもしました。受注、発注、労務管理、在庫管理、営業、開発、いろんな手伝い、クレーム対応など、何から何までして、もうやりたくないですね(笑)。親孝行かなと思っていたんですけど……。

――実家に戻って家業を手伝ってから、転機になったことはありましたか?

結局会社が廃業したことですね。自社ビルも担保に入っていたので資産が殆どない状態になってしまいました。うちの親は、明日に奇跡が起きるかもしれない、会社が復活するかもしれないと思いながら暮らしていて、どんなに地獄の状態でも諦めない信念がありました。言っていることは理解出来るのですが、それを見ていられず、とどめを刺したのは結果的には私でした。もしかしたら……という可能性を私が否定したので親が怒ってしまい、大喧嘩になり家を出ました。

そのとき住んでいたのは自社ビルだったのですが、抵当に取られても生存権があるため銀行も直ぐには追い出しません。慌てて家を出る必要はなかったものの、親と衝突した勢いで着の身着のまま江戸川に引っ越しました。仕事はない、家はない、嫁と子供がいるので困った状況でした。

ただ、豆腐カッターなどの自力で開発した製品があったので、得意先に営業して起業しました。それがアイツーアイ技研です。アパートの一室でマイナスの状況から始めました。今が48歳なので44歳の頃の話ですね。4年前のことです。

――大変でしたね……。苦境の中、起業後に何を作りましたか?

豆腐カッターの営業を回りました。自分で独自の営業ルートを作って、ローソン、セブンイレブン、ファミリーマートに入れてもらいました。ご紹介で購入して頂いた工場もあったのですが、コンビニの弁当をひっくり返して工場の名前を調べて連絡して工場に直接行って「御社で豆腐を切っていますよね。豆腐を切る機械を作っていて、これは間違いなく性能がいいので見ませんか?」と持ちかけたら、その場で買ってもらえました。
関東近辺のコンビニエンスストアで売っているマーボー豆腐の殆どは当社の豆腐カッターで賽の目カットしています。関東制覇ですね。

手売りをしながら会社に挨拶をして、「今後もサポートや開発をします」 という話をしたら意外と反応が良くて。現在は今「妖怪ウォッチ」のキャンペーンをやっている大手コンビニエンスストアさんとのお付き合いが一番長くなり、本社に伺ってお話する関係になりました。あとは工場に行った時に、働いているおばあちゃんたちから欲しいものの話を聞いたりしています。

――食品関連以外では、3Dプリンタも作られていますよね?

2014年頃、DMM.make AKIBAに入った際に、コンシューマー向けの製品を作ることを目標にして作ったものです。 これは趣味で作っていて、ビジネスにするつもりはなかったんです。製作にあまり設備がいらないので、ちょっとやってみようかなと思って始めました。

エンジニア仲間と一緒に作っているのですが、ケースや中の部品、留め具は3Dプリンタで作ったりレーザーカッターで切ったりして、板金は浜野製作所さんに頼んでいます。ケーブルは特注しました。目標としては、デルタで最小、精度が良いものを作りたかった。

――自分で作りたいと思ったものを作られている印象です。

そうですね。そうじゃないと、開発はすぐに辛くなってしまうからやってられないです。リーマンショックの時はとにかく何か作らなければということになり、USB接続のキャッシュドロワを作りました。良くいえば IoTのはしりです。これがガンガン開発していこうという姿勢になった最初の一歩です。

――「江戸っ子1号プロジェクト(※)」という深海探索に参加されていましたが、概要含めて教えていただけますか?

※江戸っ子1号プロジェクト
http://edokko1.jp/

起業した頃、糸井さんの技術力は高いから江戸っ子1号やれば?と声を掛けていただき、機材を担当しました。東京東信用金庫中小企業応援センターが中心となって運営しています。

プロジェクトの内容は、JAMSTEC(海洋研究開発機構)さんの船で日本海溝まで行って、無人の機材を1日かけて沈めて、ライトを照らして3Dカメラのビデオ撮影をするというもの。バッテリーの限界があるので休憩を入れつつ約2日経ったら回収します。回収はJAMSTECさんの船からおもりを切り離す指令を音波で送る。そうすると江戸っ子1号は海面に浮かび上がり、GPSで自分の位置を測定して衛星携帯電話で母船に位置情報をメールで送ります。そこで母船がその位置に回収に向かうというわけです。結果、3台とも全部ビデオが撮れました。

当時は会社を始めたばかりで、精神的には深い谷底から這い上がろうとしている状況で、とてつもなく高いテンションで参加してガンガンやっていましたね。プロジェクトを成功させるために今までの機材を全部刷新しました。芝浦工大、海洋大の教授も味方になってくれて、学生もやる気が出た。今、DMM.make AKIBAのチームルームで一緒にいる河上達(※)さんも手伝ってくれて、プロジェクトとしては全機成功しました。

※河上達
http://www.meetup.com/ja-JP/Shinamonolab/members/92100922/

糸井さんに持参いただいた影響を受けた本や関係のある本を紹介。左上から、本人も参加したプロジェクトの軌跡が記された『深海8000mに挑んだ町工場--無人探査機「江戸っ子1号」プロジェクト』、糸井さん自身はスカイツリーの推進委員会にも参加していた『東京スカイツリー論』、倒産時にお世話になった中小企業診断士の中村先生による一冊は糸井さんの話も掲載されている『事業再生の現場プロセス』、学生時代に文字通りページが擦り切れるまで読んだ愛読書『人間は何をつくってきたか〈5〉ロケット―交通博物館の世界』

――現在、アイツーアイ技研は糸井さんひとりだけですか?

外注の方に頼む場合もありますが、基本的にはひとりです。何から何までひとりでやっていますが、体力的にきつくなってきましたね(笑)。最近は江戸っ子1号で知り合ったソニーの河上さんとDMM.make AKIBAの部屋を借りることになって、仲良くなって一緒に食品事業をやろうという話をしています。ソニーの方と仲良くなれたのが江戸っ子1号のプロジェクトの収穫ですね。かつてのあこがれたソニー製品の開発者とも縁ができて、いつでも気楽に会いに行ける関係が作れたことは良かったです。

――DMM.make AKIBAではどういった作業をされていますか?

実は自宅にも機材がほぼ揃っているんです。ここに入居しているのはレゴれご団(※)などのコミュニティを作れるメリットがあるから。ここでテック技術顧問をしている阿部(※)さんも元々はソニーのカリスマ社員で、河上さんの師匠的存在です。そして河上さんが作った品モノラボ(※)を含めたソニーの品川界隈、それと秋葉原のコミュニティをうまく結びつけたいと思っています。それを具現化するためにレゴれご団も始めました。

※レゴれご団
http://legolego-dan.com/
※なかのひと #1「テック技術顧問 阿部潔」
https://media.dmm-make.com/item/3769/
※品モノラボ
http://shinamonolab.strikingly.com/

人が集まっても何もしないとただの飲み会で終わってしまうので、何かしなければいけない。それと裏の目的があって、なかなか会えない偉い人と友達になり、ビジネスを気楽に話せるような関係を作るために開催しています。レゴを通じて、普段の役職を抜きにして「その人が面白い」という人間性で繋がれる場を作りました。レゴの世界に行くと、社長も学生も同じ土俵で楽しむことになります。なので私の場合、遊びだけでなく、仕事で営業に行った時もだいたい友達みたいな接し方になっちゃいますね。
また、発想で戦えるのでレゴで子供を洗脳しようとも思っています。将来、開発をさせるために体で教えるということをやりたい。

――レゴれご団だけでなく、スゴイラボというのも主催されていますよね。それはどういった内容ですか?

河上さんと運営しているスゴイラボは、Maker Fair Tokyoに出展するためのものです。法人化しようとしています。これまで、シャツの襟首に小型の扇風機を付けて風を送る「スゴ涼(※)」などを開発しました。私は普段、営業から開発までやっていて忙しいのですが、いつも河上さんにお尻を叩かれています。私が変な物を作ると「またそんなものを作って」って怒るんです(笑)。

※スゴ涼
http://arch.gugen.jp/contest2014/entry/0106

スゴイラボのメンバー。
右からアイツーアイ技研 糸井さん、俯瞰工学研究所 河上さん、YOKOITO 大谷さん。河上さんが手に持っているものが「スゴ涼」。

――そんなものとはなんですか? いろいろ持ってきていただいているようですが。

これは1994年に発売されたレゴを改造したもの。 曲を鳴らせたり、モーターを回せたり、センサーがついていてミリ単位で距離を測れる。種明かしをすると中にraspberry pi が入っています。ケースを3Dプリンタで作り直して、回路も全部作り直しました。これはレゴ社非公認の遊びですね(笑)。こういうことをしていると「本気で遊んでいるでしょ、会社潰れちゃうよ」って河上さんに怒られちゃうんです(笑)。

ほかには、だるま型のウェブカメラ、だるま型の時計、目玉がゆっくり動くだるまを作って、地元の人しか来ないローカルなだるまコンテストに出品しました。これを作った時は会社が潰れるという時でしたね。何を作っていると気が紛れるからそれで幸せになれるんです。どんなにどん底でも何か作ってるとハッピーになれるから、何の問題もない。一生懸命に磨いて色を付けていましたね。そして何の役にも立たない(笑)。

もっとビシネスを頑張らなければいけないのですが、ここに来ている方に比べて私は特殊なんです。ここではどちらかというと道を探している方が多い気がしていて、皆さん悩んでますよね。それはお客さんが見えないから怖がっているように思えます。「C向け」だと、フィードバックがレビューしかないじゃないですか。クラウドファンディングに掛けてもその筋の人しか評価をしてくれないだろうし。私が扱っている「B向け」は、言葉は重く聞こえますが、現場を見たり直接ニーズを探っているのでダイレクトな感動があります。作った製品を工場のおばさんが使ってくれているのはすごく嬉しいですね。

――最後に、DMM.make AKIBAで頑張る若手に何かメッセージをいただけますか?

「ピンチはチャンス」って本当の事だと実感しました。会社の廃業は辛い現実でしたが、それがきっかけで沢山の素敵な人達に出会う事が出来た現在があります。きっと気付かないだけで厳しい時ほど素敵な未来が潜んでいるはず。大抵のことでは人間は死なないので、自分らしく恐れず新しい世界を探検して欲しいです。

カップヌードルを生み出した安藤百福さんがチキンラーメンを生み出して、大企業の足がかりを作ったのは47歳のとき。遅いなんて事は全然ないので、好きなだけトライ出来るはず。人との出会いだけは大事にして突進してください。

DMM.make AKIBAから一言

何やら変なものを作って楽しげにしている人たちがTeamRoomにいる・・・と思っていたら、それが『スゴイラボ』で、実は各々が大変優れたエンジニアさんのチームでした。
その中でも糸井さんは、豆腐カッターなどB向けの製品で成果を上げつつ自分の作りたいものを作っている、という印象だったのですが、今回じっくりお話を伺ってみて、こんなにも波乱万丈のドラマが隠されていたなんて驚きました。人に歴史あり。
そんな苦労を感じさせない優しく穏やかなお人柄ですが、誰より苦労をしてきたからこそ、あんなに人に優しく温かく接することが出来るのかもしれません。しかし何より、どんな状況にあってもとにかく作り続けること、その情熱を持ち続ける糸井さんの背中が、私たちに大切なことを教えてくれるような気がします。

そして個人的には、ときどきSNSに投稿される糸井家の牛猫「もーちゃん」の登場を楽しみにしているのでした・・・。(編集・境 理恵)

糸井家のもーちゃん

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