MAKERS #16「Communication Stick Project代表 三枝友仁」―IoT杖で高齢者の社会参画を支援するプロダクトデザイナー

MAKERS #16「Communication Stick Project代表 三枝友仁」―IoT杖で高齢者の社会参画を支援するプロダクトデザイナー

DMM.make AKIBA
DMM.make AKIBA (ID4043) 公認maker 2017/08/31
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このコーナーでは、DMM.make AKIBAを拠点に活躍しているメイカーズにインタビュー。

モノ作りをしている方々の仕事内容や、技術に関するホットなトピック、そしてオフィス内の制作環境を中心に御紹介。話題作りに御一読を!(文・髙岡謙太郎/写真・境理恵)

高齢者の外出を支援するスマート杖「コミュニケーションスティック」は、GPSやセンサーを内蔵し、迷子や転倒など不測の事態が発生した際、家族や介護者にリアルタイムに通知を送る機能をもったプロダクト。高齢者にも使いやすいシンプルかつ直感的なデザインによって、国際的なデザインエンジニアリング賞「James Dyson Award」の国内最優秀賞と国際TOP20を受賞した。その発起人でありプロダクトデザイナーである三枝友仁に、学生時代から現在に至るまでを伺った。

Communication Stick Project代表 三枝友仁(さいぐさともひと)
2013年明治大学国際日本学部卒業。15年桑沢デザイン研究所デザイン専攻科プロダクトデザインコース卒業。13年より都内デザイン事務所にて勤務後、16年8月独立。James Dyson Award 2016国内最優秀賞・国際TOP20受賞。

IoTを通して高齢者の外出を支援する杖

https://vimeo.com/207821252

――開発されたコミュニケーションスティックをご説明いただけますか?

三枝:コミュニケーションスティックの初期バージョンは、音声でやり取りするメールの送受信と転倒検知が主な機能です。マイクから音声を入力して送信、受信したメールをスピーカーから読み上げる機能。それと利用者が転倒した事実を検知して、位置情報(GPS)を家族や介護者に送る機能が主なものになります。

まずはプロトタイプを作るために、時間を掛けずにどれだけ早く形にできるかを意識して、市販品で買えるモジュールを使用しました。これらの機能を持たせるために、Rasberry Pi、Wi-Fi、マイク、スピーカーを組み合わせています。現在は、フィードバックを得ながら機能を調整しています。

――まずは機能検証用のプロトタイプを開発して、その後プロダクトとしてデザインしたものをJames Dyson Awardに出品されたのですね。

三枝:そのプロダクトデザインした本体は、まだ基板を入れてないハリボテの状態で動きません。ロールプレイをするために作ったプロトタイプで、これから中に入れる基板を開発する予定です。

――今後はどう進めていく予定ですか?

三枝:今後は、プロトタイプの仕様が本当に高齢者にとって必要なのかという市場調査を行い、再度検討した上で最終的な機能を盛り込んだものを開発していきます。

また、解決すべき課題を再設定しました。市場調査の結果、85歳以上の高齢者には健康維持と社会参加の問題があるという考えにたどり着いたのですが、その解決策として転倒検知後の事故対策サービスを研究開発していきます。健康維持に関しては、健康状態を杖から取れるデータで可視化して健康管理システムを作りたいですね。

現在の杖の市場状況ですが、日本で1年間に84万8000本が売れています。最初は1年目で1.2%にあたる8500本の売り上げを目標にしていましたが、ウェブアプリによる健康通知や健康保険で収益を維持させる方向に転換しました。スマホのように、最初に低価格で販売して本体を普及させ、月額利用料で収益を生むビジネスモデルです。

――James Dyson Award に出したきっかけは?

三枝:元々プロダクトデザイナーを目指していたので、まずはデザインの賞を取りたいという思いからです。プロダクトデザインの事務所で働いていた際に介護施設などへ行く機会が多く、介護の現場が抱える問題に気づきました。それを契機にこのプロダクトに取り組みましたが、僕らは評価されやすいプロダクトだとは思ってなかったんです。James Dyson Awardの評価を受けて改めて色々な人に見ていただくと「これがあったら外に出てみる気になるかしら」と、高齢者からも意外に反応が良かったんです。

85歳以上の方の中には機械を触りたくないという理由でこのプロダクトを嫌がる人もいますが、もう少し年齢が若い方には「これどこで買えるの?」と聞かれます。最近もJames Dyson Awardの事務局に連絡が来ているそうです。

――どういった経緯で高齢者の方と知り合いになりましたか?

三枝:これを作るきっかけとなったのが、介護施設で出会った女性です。その方は歩行や意思疎通も可能ですが、外出を3ヶ月に1回しかしない。なぜかというと、外出先で何かあったら怖い、周りに迷惑かけるなどの不安や心配があったからです。それは身体能力の低下からくるもので、高齢者本人も介護者側も怪我をするなら外に出ないほうがいいという気持ちになってしまっていました。

そこで、外出支援のための杖で精神的な支援もすべきではと考えました。通信とセンサーを使って、何か不測の事態が起きた時に周りの人が対応できる環境を作ることで、外出をためらう高齢者の背中を押すプロダクトを作りたいというのが発想の原点です。

杖ユーザーは85歳以上が多く、自宅在住の方が多い状況です。外出できない理由も転倒や迷子だけでなく、外出する目的がないからです。買い物、食事、美術館など様々な予定をたてることは可能ですが、そもそも会う人いない、するべき仕事がないなど、社会的な役割が少ないことがそういった予定をたてることにも消極的になってしまうようです。でも実際に話をきいてみると、皆さん社会参加したい気持ちがかなり強いことがわかりました。僕らが90歳のおじいちゃんに話を聞いていたら、「久しぶりに若い人と話した」と言って泣いてしまったんです。やはり寂しいんですよね。

――社会参加する方法がなかなか見当たらないんですね。

三枝:これは解決しにくい問題なのですが、高齢者は社会基盤に適応できない場合が多いと感じます。歳をとると身体能力が衰えるので、電車の乗車中にも辛くなるという予期せぬ体調不良が出てきます。それもあって、高齢者の外出理由は「健康維持のため」が多いのです。年齢が若いと運動することで筋肉が付きますが、高齢者は運動しても回復はするけど筋力が増幅することはありません。つまり健康の向上にはならないので、外出の目的が「健康維持」になってしまいます。そこで社会参加したい気持ちがある方が、この杖を利用することで不安を取り除き、いろいろな人との会話のきっかけになればと思っています。

大学卒業後、プロダクトデザインの道へ

学生時代の作品

――三枝さん自身がプロダクトデザイナーを目指したきっかけを聞かせていただけますか?

三枝:かなり遡りますが、大学在学中に社会に何らかのインパクトを与える仕事をしたいとを考えていました。ものを作ることが好きなのでデザインにいきつき、夜間は川久保玲や山本耀司といった日本を代表するデザイナーや芸術家を数多く輩出してきたセツモードセミナーという美術学校に通いました。やがて、ファッションやグラフィックではなく、もっと現実的に人間の役に立ちたいと思うようになり、プロダクトデザインへと興味が向かいました。

卒業後、仕事に直結するデザインを勉強しようと思い、桑沢デザイン研究所のプロダクトデザインコースで学びました。在学中に学校の求人を見て、NIDOインダストリアルデザイン事務所でアルバイトとして働くようになりました。

――ものづくりに関心を抱くきっかけはなにかありましたか?

三枝:実は若いころ、パンクスだったんです。自分で革ジャンやズボンを作っているうちに、作ることが好きになりました。自分の中にあるパンク観は、反社会的というより「誰もが本当は思っていて言えないことを言う」という社会に対して語りかける感覚のもので、それらに影響を受けて社会を変えたいという思いが芽生えました。

一時期はパンク・シーンに深く関わっていて、THE CASUALTIESというバンドが来日した際は物販を手伝ったりしていたんです。でも、その界隈の人たちが自分たちの文化圏だけで満足しているのを見ているうちに、その精神が社会に広がることはないと感じて意識を改めました。

――原体験はパンク・シーンだったんですね。卒業後はどういったものを作られていましたか?

三枝:NIDOインダストリアルデザインでは、幼児から高齢者までさまざまな福祉用具を手掛けました。モックアップを制作し、対象となるユーザーに実際に使ってもらう実証調査をしていました。

桑沢の卒業制作では、騒音除去機を作りました。騒音に対して逆位相の音を鳴らすと騒音が消失する装置です。360度対応する円形のプロダクトで、技術的に厳しい部分があるので実用化は少々難しいのですが……。

桑沢デザイン研究所 卒業制作

――そういった中でハードウェアスタートアップに関わる人はいましたか?

三枝:桑沢の先生でもある印デザインの池内昭仁さんがそうですね。バルミューダの扇風機など、さまざまなプロダクトデザインを手掛けるほか、自分でインテリアや雑貨などのプロダクトを作って流通させていました。僕にはそれが印象的で、デザイナーとして依頼されるだけではなく、自分で企画を考えて作りたいと思いました。

――その他にも影響を受けた方はいますか?

三枝:身近では、NIDOインダストリアルデザイン事務所の社長、石井賢俊さん。今年で80歳を迎え、50年前から福祉専門のデザインを手掛けています。今でもアドバイスをもらっていて、石井さんがいなかったらこの杖はできていません。

個人的に好きなデザイナーはプレーンの渡辺弘明さんです。「デザインする時に何を基準にしているのか」という質問をした際、「必要な機能をそぎ落としていくだけ」と答えていただいたのが印象的でした。他には「美しいなんて曖昧な基準で物なんか作れない」とおっしゃっていて、形態は機能に従うという思想を強く学ばせてもらいました。

――DMM.make AKIBAを知ったのはどういった経緯ですか?

三枝:James Dyson Awardの事務局に誘われて、Fabcafeのイベントでプレゼンテーションをした際、来日していたボストン在住のスタートアップLoad&Roadのカワノベさん(http://teplotea.com/)とお会いしたんです。その後カワノベさんに同行してDMM.make AKIBAにお邪魔し、エヴァンジェリストの岡島さんからOpen Challengeに誘われました。

――「DMM.make AKIBA Open Challenge」に参加された感想はいかがでしたか?

三枝:岡島さんからきちんとユーザー調査したほうがいいとアドバイスを頂き、調査を始めたら思いのほか時間がかかってしまいました。プロトタイプを作る名目で採択されたのですが、間に合わなかったのは申し訳なかったです。ただ、そのアドバイスがなければ、高額な資金を費やして意味のないプロトタイプをつくっていたと思います。

応募時のプレゼンテーションで、オリックスさんとニフティさんの2社から採択されました。ニフティさんの場合は、展示会「Japan IT Week」の同社ブースで展示させていただきました。おかげでいろいろな企業が興味を持ってくれて、製品化に向けて話が進んでいます。オリックスさんには介護施設を紹介していただいたり、必要に応じて相談に乗ってくださいますね。ニフティさんの若手スタッフの方とは個人的に飲みに行ったりもしています。

<DMM.make AKIBA Open Challengeとは>
IoTに関するソフトウェアやハードウェアのプロトタイピングから製品化を目指すチームに対し、技術やビジネスに精通した企業がプロトタイプのブラッシュアップを3ヶ月間サポートするプロジェクト。
詳しくはこちら⇒https://akiba.dmm-make.com/form/openchallenge/

――今後の展開を教えてください。

三枝:まずはプロトタイプを作り、出来上がったら営業や実証実験を展開します。Japan IT Weekの「IoT M2M展」に出た際、多くの企業から反応がありました。

――現在はプロジェクトの段階ですが、法人化など事業展開の目標はありますか?

三枝:ふたつの方法を考えています。プロジェクトのまま個人で会社と契約して製品をリリースする方法と、自分たちで会社を立ち上げてリリースする方法があります。ただ、自分も現在はプロジェクトからの収入がなく業務委託で働きながら開発している状況で、チームの今後について、これと言った決定打がありません。なので、足踏みしている状態です。

――どういったことが決定打になりますか?

三枝:やはりお金です。マネタイズできる市場などが明確になることです。時が来ればそうなると思います。

――最後に三枝さんご本人の今後の目標をお聞かせいただけますか?

僕は経営者になりたいというよりやはりデザイナーであるという意識ですが、1を100にする仕事よりも、0を1にする仕事をやりたい。大学の時に影響を受けた論文があって、オランダのエラスムス大学と筑波大学が共著した『企業活力としてのデザイン』というものです。そのなかに「経営者と企業が考えている価値を消費者にどう伝えるかがデザインのプロセスだ」「製品を渡すだけではなく、製造からの流れも全部デザインのプロセスと考えたほうが良い」とありました。僕は経営者と近いところにデザイナーがいる状況が良いプロダクトを生み出すと考えていて、これから自分で望ましい状況を作っていきたいと思っています。

DMM.make AKIBAから一言

IoTプロダクト開発、試作を支援するアクセラレータープログラム「DMM.make AKIBA Open Challenge」の1期生である三枝さん。7月7日に開催されたDemodayでは、さまざまな企業の興味をひいていました。採択されてからは毎日のようにAKIBAで作業に取り組む姿をお見かけし、真摯で真面目なお人柄なのだなぁと、勝手に朴訥な印象を持っていたのですが・・・

今回のインタビューで、若かりし頃(今もお若いですが)PUNKSだったとお伺いして驚愕しました。しかも、某ストックフォトのサイトで「パンクの人」の素材になっているほどにはPUNKSだった模様。画像を見せていただきましたが、まごうことなきPUNKSでした。そんな時代があったなんて今のお姿からは想像がつきませんが、そのとき抱いた精神が点と点でつながって、今に続いているのです。人に歴史あり。残念ながら、その画像の掲載については「某ストックフォトのサイトから購入してください」とのことでした。予算がないので買えません。そんな三枝さんに興味をお持ちのかたは、Communication Stick Projectの今後にぜひご注目ください。(編集・境 理恵)

撮影中、その場に居合わせたAKIBA会員さんに冷やかされて破顔一笑の三枝さん。人を和ませる、いい笑顔です。

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