「3Dプリンターで鉄道模型を作る」始動編

「3Dプリンターで鉄道模型を作る」始動編

以下の映像は、3Dプリンター鉄道模型を作り始めた時点の頃から現在に至るまでを記録したものですが、

本ブログではその内容を掘り下げて、
3Dプリンターで出力する鉄道模型をどうやって3DCGモデルとして創っていったかや、
3Dプリンターの特性による出力物の違いを説明していく所存です。

http://youtu.be/zi43fERH_Go

「3Dプリンターがあれば、不器用な自分でも鉄道模型が作れる!」

そう思ったのは2007年のことでした。

当時世界初のフルカラー3Dプリンターが作られた事と、
その機材を使って3Dプリンター出力を行う会社がある事を知った私は、

早速模型作りに3Dプリンターを利用してみることを検討し始めました。

そのためには、まず3DCGデータを作る必要がありました。

初めての3Dプリンター用3DCGデータの作成、そして失敗

上の画像は3Dプリンターに渡す3DCGデータとして初めて作った鉄道模型車両の先頭部分データです。

車体を一気に作って出力した時、そこに失敗があったら出力物がまるまる無駄になります。
なので、まずは鉄道模型工作で難しい部分である「先頭車両形状」に着目して先にこれを立体出力出来るか確かめることにしました。

さらには、鉄道模型の先頭形状として自作するのが最も難しいとされる流線型の電車を題材にとってモデルデータを作成する方針にしました。

その最初のターゲットとなったのが、下の写真の電車「クモハ52型」です。

今回鉄道模型として作った車両は現存しません。
1978年まで実際に使われていたJR(当時国鉄)の電車で
「クモハ52003」という型式番号を与えられた車両をターゲットにしています。

今はその僚機であるクモハ52001が大阪のJR西日本吹田工場に、クモハ52004が名古屋のリニア・鉄道博物館にて展示されています。

この写真は新造当時の状態を再現した車両を撮影したものです。

このように戦前製でありながら現在の新幹線車両を彷彿とさせる流線型にデザインされた特徴のある車体でした。

この車体は戦前、京都~大阪~神戸間限定の「急行」(今でいう新快速の位置づけ)で運用され、隣接する私鉄電車(主に新京阪鉄道のP-6に対抗意識を燃やしていたと言われます)と激しいデッドヒートを繰り広げたと言われています。

ここまで特徴ある車体なのに首都圏で運用されることは一度もなく、後年は飯田線に転出しそこで廃車されました。

その最後の姿がWikipediaの「クモハ52型」の説明ページに写真で紹介されていましたので、それを引用させて頂きます。

この車両はクモハ52型の「初期型狭窓車」と言われる車体ですが、最終的に塗り分けの色はJR横須賀線の「横須賀線色」に変更され、特徴のあるスカートを外されたよれよれな姿になってしまいましたが、それでも車体の優美な先頭形状デザインは失われませんでした。

この先頭形状は、実は長年自作鉄道模型愛好者にとって悩みの種でした。

この独特の曲面形状を創り出すには、木と紙とポリパテを駆使して盛り上げたり削ったりを繰り返して実車のデザインに近い形状を長い時間をかけて作り上げなければなりませんでした。

それが3DCGモデルデータでは簡単に作れるのです。

しかしデータが出来上がって、3Dプリンター出力サービス会社にデータを送って出力されたデータを見たら、色々なところが壊れていたのです。

特に窓枠周りは部品が細すぎたおかげで全て破損された状態になっていました。

それでも太さを保ったところやヘッドライト&テールライトはちゃんと残っていました。

それよりも、初めて受け取った3Dプリンター出力物を見て感動した事を覚えています。

このモデルを受け取ったのが2007年11月頃でした。

ここから私の「3Dプリンターで鉄道模型を作る」挑戦が始まったのです。(^^;)

(次回に続く)

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